2021年10月18日(月)~11月20日(土)まで、移転リニューアルにつきお休みさせていただきます。
人は多かれ少なかれ
心に傷を持っている。
その傷が後に自分の
思考となり行動となり
人格となる
最近、周りの方に
「何でこの仕事を選んだのですか?」
と聞かれる事が多い。
それは私の過去と結びつく質問である
私の生い立ちを書く事は
まだ、ずっと先・・
親父殿があの世に行ってから
と思っていたが
幸か不幸か その予兆はまだ無い(笑)
なので 時折 私の過去について
書いて行こうかと思う
私も色々なカウンセリングを受けたり
自ら心理学を学ぶうちに
そろそろ書ける状態になったとも言える
長い長い物語
私は長女として生まれた。
正直 楽しかった幼少期の
思い出は?と聞かれても
思い出せないのだ
それは特殊な家庭環境にあった。
幼稚園の時 隣の男の子が
字が書けるのに 私は書けなかった。
そこで親父殿は 幼稚園の私を
正座させ 徹底的に字を
書かせてたのを覚えている。
眠たくてウトウトしていると
棒で叩かれるのだ。
家には 棒という棒が無かった。
それは何故か?
親父殿が 私を叩く度に
棒が折れる程殴るからだ・・
折れる程殴られる?
普通は経験ないよね。
掃除機の枝や布団叩き。
洗濯を干す 木の棒など
何一つ無いのだ
木の棒を隠しても
又 どこかで調達してくるので
なんの意味も無い(笑)
私の記憶では それは
幼稚園くらいから始まったように思う。
ヒグマのような大柄な身体
力仕事をしているので
グローブのような手
かなりのパワーの持ち主だ。
棒が無い時は
グローブのような
ゲンコツが飛んでくる
まだ小さかった私は
いつも親の顔色を伺ってる
子供だった。
子供を溺愛しているのだが
親父殿の愛情は
かなり歪んでたと思う。
「言って分からない奴は
殴って教えたる」
と言うのが口癖だった
声も大きく、恐ろしく短気な
親父殿は いつも
怒っていた
大きな声で怒鳴り散らしていた。
それが私の日常だった・・
若い時は「幼児虐待」だと
思っていたが
今思えば
モラハラ親父だった
両方か(笑)
母親も いつも親父殿に
怒鳴られていた。
そのストレスからなのか
私にもヒステリックに
怒りをぶつけて来た。
両親別々に 些細な事で
怒る怒る
まぁ こんな感じの幼稚園時代。
後に4つ下の弟が生まれるのだが
私の壮絶な人生の幕開けは
こんな感じである。
続きは 又気が向いたら
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